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Ⅵ. 名言・逸話

"一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり 幕府が滅亡したるはこの一言なり"
約40年という短い生涯であったが、彼は多くの名言や逸話を残している。
これらは小栗の性格や思想を知る上で、重要な手掛かりとなるだろう。

名言

  • "愈々出来の上は旗号に熨斗を染出すも、猶ほ土蔵付き売家の栄誉を残す可し"
  • この言葉は横須賀造船所建造の途中経過を視察した際に、盟友の栗本鋤雲に対して述べた言葉であると言われている。造船所を土蔵にたとえ、例え徳川家が家屋敷を売らざるを得ないことになっても、「土蔵付きの売家」として胸を張って売ることができる、の意。この言葉から、横須賀造船所建設の時点で既に小栗が徳川の将来がそう長くは無いことを感じ取っていたことが伺える。

  • "幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない。幕府のしたことが長く日本のためとなって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか"
  • 文意は上と似ているが、こちらは造船所建設前、計画に反対した幕閣に対して説得のために述べたものとされている。しばしば小栗は、有能な人物であるが少々徳川幕府への忠義にとらわれ過ぎていたと評されるが、小栗も勝と同様日本全体のことを考えた人物であったことが伺える一言である。

  • "一言で国を滅ぼす言葉は『どうにかなろう』の一言なり 幕府が滅亡したるはこの一言なり"
  • 数ある名言の中で、特に引用される回数の多い名言。恐らく読みやすく、また現代にも通じる普遍的な言葉であるからだろう。幕臣時代の小栗の活躍を鑑みれば、非常に説得力のある言葉である。

  • "病の癒ゆべからざるを知りて薬せざるは孝子の所為にあらず。国亡び、身倒るるまでは公事に鞅掌するこそ、真の武士なれ"
  • どうせ治らない病だからといって薬を渡さないのは孝行息子のやることではない。ならば、幕府が滅びるまで自らの公務に専念して立ち働く者こそ、真の武士である、の意。詳細は後述するが、死後彼の評価をする上でもキーワードとなった言葉である。

逸話

  • 【またまた小栗様のお役替え】
  • 小栗は生涯、外国奉行、小姓組出頭、勘定奉行、歩兵奉行、陸軍奉行、勘定奉行勝手方、軍艦奉行等様々な役職を歴任時には兼務しており、世間まで「またまた小栗様のお役替え」「任免七十回」等と揶揄する程であった。これは勿論当時の幕府内部が弱体化し、混乱していたことが原因であるが、小栗自身の歯に衣着せぬ物言いが対人関係で多くの摩擦を生んだこともその理由であった。言葉の言い回しにも独特の癖があったらしく、近代化政策に反対する頑迷な幕閣に対して「製糞器」というあだ名を付けたという記録が残っている。(恐らく、何も生み出さずただ税を消費するだけの存在だと言いたかったのだろう。いくらなんでもあんまりな言い様である。)

  • 【官位「上野介」の下賜】
  • 上野介という官位は、帰国後に加増を受けたと同時に賜ったものである。この時周囲からは「上野介という官位は吉良上野介と縁起が悪いので断った方が良いのではないか」と言われたが、小栗はそんなことはどうでも良いとつっぱねたそうだ。おそらく米国の進んだ文明を見た小栗にとって、平安宮廷の名残である官位等は何の気にもならなかったのだろう。しかしその後に吉良と同様に非業の最期を遂げてしまうことは何とも皮肉な話である。

  • 【徳川埋蔵金伝説】
  • 「徳川の埋蔵金」という言葉は誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。実はそのキーパーソンこそ小栗忠順なのである。元々は江戸城無血開城の際、財政難に喘いでいた明治新政府が幕府御用金を資金源として期待していたにもかかわらず、金蔵が空であったために生まれた説であった。この時徳川幕府最後の勘定奉行であった小栗に目が向けられ、上州隠棲の際再起を図るための費用として持ち帰ったのではないかと疑われるようになったのである。(実際捕縛の容疑にも、この件が含まれている。) 小栗斬首の後も幾人もの人が赤城山等権田村周辺の山々で発掘を試みているが、未だ埋蔵金は発見されていない。

  • 【子孫】
  • オグリン

    小栗は養子と共に斬首されているが、懐妊していた妻は村人の協力によって逃げ延びており、後に娘国子を出産している。この子孫が実は『花さか天使テンテン君』等の著作で知られる漫画家の小栗かずまた氏である。それにちなみ、よこすか開国祭のイメージキャラクターの一人オグリンは、彼がデザインしている。